当社の歩み

はじめに

 当社HPご覧悦ありがとう御座います。BB工事.com店長の栗原でございます。ITとはコミュニケーションをとる為のただの道具で、主役はコミュニケーションの方だと思っております。様々な現場で培った私どものIT技術を、地元宮城のコミュニケーションにお役立て頂ければ幸いです。 

 当社は、エクスマ『モノを売るな!体験を売れ!』を素直に実践し、私どもが体験した中でBestなものをお客様へお勧めする、自由で「一石三鳥」的な事業を目標にしている会社です。

ODAの延長線が今

 私の原点は、JapanのODA派遣技術者当時に遡ります。私のミッション は、現地の電話局スタッフを教育し運用までできるようにするプロジェクトを完了することでした。現実は建設・電力・通信・PCの何でも屋になっていた。機器が故障すればその場で原因を調査し基板を修理する、或いは代替・応急処置をするなど機転も要求される職種でした。その癖は今でも抜けないもんです。

アフリカが人生観を変えてくれた

 世界中、文化、人種は違えど人の考えにそう違いは無いことも分かりました。貧乏でも、お金持ちでも、それは今世の運の違いだけですから、来世は逆転するかもしれないと思って生きなければならない。お金や物は死んだらもちろんリセット。各々魂にとって必要な経験を神様から与えられているのだから、課題が多い人ほど神様から見込まれている人である。うまく行かなかったことがあれば来世リベンジすればいいやと私は気長に考えるべきだと思っているのですが、いかがでしょうか?(^ω^) 

 当時の思い出は今でも強烈に覚えており、日本の国内線すら乗ったことのない田舎者が一人でアフリカの地に降り立った瞬間です。生きるってことの意味を考えさせられる。私は「既に幸せだった!」、日本人に生まれただけなのに世界がうらやむエリートと呼ばれたのだ。生きるということは、おそらく人を感動(幸せに)させることである。実は、その考え方は仏教の真髄、大乗仏教の教えそのものでもあります。日本人の87%は、亡くなられたら仏式でお葬式をされますが、ほとんどの方は信仰が薄いためそれを知らないと思われます。そう言っている私は仏教を離檀しまして、ただいまFreeです。(^~^)

 アフリカと言っても、チーフエンジニアは欧州に留学経験もある現地のインテリ達で、英語は分かりますので仕事上の難しさはない。首都は日本の田舎よりも拓けていて、仕事は15時で終わり、天気が良ければゴルフをハーフで回ってから夜カジノとディスコに行くのが日課。学生時代テニス部だった私は、休日には現地プロ相手にテニスで汗をかいた後にプールへと飛び込むなども。レゲイミュージックもここで覚えました。当時22才ですから実に若かった。ここでは1年半ほど日本ではできない貴重な経験をさせていただきました。

人の人生は誰もが±0らしい

 実は私、3歳で養子に引き取られ実の親を知らずに育った野良犬君でした。そのため、幼年期から将来一人で生きていくことを薄々感じて準備してきました。第一歩は、10才の時、自ら新聞少年になりました。親に捨てられても、パンと牛乳さえ買えれば一人で生きていけると思って、すがる思いと言うか、働いてるときが一番心がおちつき幸せだったんです。養父からは高校なんか行かんでいいと言われていたので、中学卒業したら孤児タイガーマスクのようなプロレスラーになるしかないと思っておりました。が、養母が私を愛してくれてたみたいで夜遅くまで働きに出てくれて進学させてくれたのです。(^人^)感謝♪  月40Hの残業でピーピー言っている昨今、開発チームで、その10倍の実働600H(400H残業)に耐えうる体に産んでくれた見たことない実母にも、後になって感謝するようになりました。(•ө•)♡

 高校時代は学業そっちのけで、新聞朝刊の配達〜学校〜本屋の店員〜夜にコンビニの店員、休日には水産会社で仙台駅前・国分町・一番町の飲食店へスーパーカブで鮮魚を配達。一日に最大4つのバイトをこなして明け暮れる日々を過ごしてきました。 そんなわけで、大人になると「こんな楽しく楽な仕事でこんなにお金もらえるの?」と嬉しさ満載だったんです。(^ω^) 

 さらに血の繋がった家族がいなかった私にとって、子供の頃から周りにいる人全てが他人ですから、大人になって人間関係に悩むことがなかったのも得した点だと思ってます。いつの間にか人種も問わず誰とでもフランクに付き合える体質になっておりました。そんな私でも、結婚して子供が生まれた時に初めて血縁者と対面でき、やっと普通の人になれたと実感しました。(;O;) 

 会社の上司にも大変恵まれました。中でも新入社員の時に上司から言われた言葉は今でも覚えております。「いいか、この会社で通用するやつになればいいと思うな!、どこの会社でも通用するやつになるんだぞ!そうなると会社を辞めてしまうやつがでるが、それはしかたない。いい会社とはそのレベルの社員が沢山いるんだ」と。会社に残るも辞めるも努力は一緒というわけですね。( • ̀ω•́ )✧

 新聞少年であっことも人生に影響を与えています。社会人なりたては早起きの癖は抜けず、出社前の毎朝5〜8時の時間を持て余し、会社の開発室にあった「光技術白書」を読みあさっては独学の時間にあてておりました。昭和の時代というのは、先輩が飯の種になる技術を後輩にやすやす教えるという風潮はありませんでした。それを公言する先輩も実際におりました。先輩から試された記憶はありますが、教えてもらったという記憶はありません。

 ある日、NECの主力生産ライン内で溜まった1000台以上の不動作品の山が問題化し、お手上げとなっていた処理の担当にさせられました。1000台といっても1日あたり20〜30台の不動作品がそれに加算されるので、1日にそれ以上のペースで原因究明と修復を行わなければ履けません。それを数カ月かけ一掃すると、基本回路を理解している都合のいい人間とされ、今度はモデムの試作助手にあてられました。どうも私のことを暫く大卒だと思われていたようで、打上げの時に出身大聞かれてやっとバレました。(^ω^)高卒で新聞配達8年の実績だけで世渡りするなんて、時間もお金もかけずコスパ最高の人生でざんしょ!(^~^)

アジアの思い出

日中友好 @ 旧大和ホテル
China etc.

 中国の光ファイバー網も私たち日本が支援したものです。韓国へもソールオリンピックの時に国際通信の需要が増えて支援してきています。当時の中国は、北京大学のスタッフが中心だったと思います。休日には、後に世界遺産になった「瀋陽故宮博物院」(満州)などの名所へ観光案内までしていただけました。日本に帰国する時、宿泊していたホテルへも挨拶にも来てお土産までいただき感謝感激でした。が、なんと帰国一週間後にあの「天安門事件」が勃発したのでした。その後は同じアジアのインドネシア、シンガポール、米ソ冷戦終結中継のため地中海のマルタ島に出向したのを最後に、自己都合で退職することになりました。

コンピューターと通信と電力の結びつき

 次に東京電力グループへ移籍いたしました。 ここではコンピューターと光ファイバーなどの通信網を使って遠隔から電力系統を自動制御する機器の開発チームに属しました。 事故(停電等)が起きるとコンピューターが最適ルートで復旧させる装置や未然に事故を防ぐ装置です。人間がとっさの判断で操作すると誤認・錯覚によるヒューマンエラーが起きやすいので人は触らずして自動運転がベターなんです。と言うよりも、人間は極度の緊張により作業は殆どできません。八重洲・日本橋・新宿・渋谷などの首都圏で操作を誤ると間違いなく大停電によりパニックになりますから。コンピーターの処理後に解析するのが人間の仕事になります。今の自動車の自動運転やAIのさきがけになる技術ですが、電力会社では既に1990年代の前半から導入しており変電所等は無人運転化されています。

 東電グループの通信会社TTnetでは、コストダウンの目的で「屋外設置型のAP局」の開発も1990年代の後半にNEC・富士通とともに宮城県で進めておりました。なんで宮城県で? 当時、宮城にはNECの伝送事業部があったことと、私がそこに精通していたたことで企画された仕事だっただけのこと。でも実験だけは検証にふさわしい盆地の山梨県が選ばれ、宮城と山梨を行ったり来たりしてました。この思想は、どちらかと言うと現在は携帯電話の基地局に使われております。その後、ここも早期退職させていただくことになりました。

BB工事.comの始まり

 2001年、まだ家庭に光が直収されていなかった時代、インターネットをおしゃれに楽しいものへをコンセプトに西麻布のホブソンズとコラボでインターネット・カフェe-Hobson’sを開店させました。特に外国人の方やゲーマーの方にご利用いただきました。その後、日本の光ファイバー網もNTTだけだったのものがKDDIも東京電力の光事業(パワードコム)と統合し「ひかりone (現:auひかり)」として参入するなど普及に拍車がかかりました。奇遇にも、古巣の系統を引き継ぐKDDIの東北エリアの立ち上げに参加することになりました。今だから言えますが、「auひかり」のはじめの2年間程は私一人で東北エリアを365日24時間張ってたんです。驚きでしょ。(_Å_)

 ソフトバンクはマンション限定で独自の光事業をやってたのですが途中で撤退しました。その時、当社もマンション設備解体とイーアクセス・イーモバイルとの局内ネットワーク統合のお手伝いをやらせて頂きました。その後5年余りで光回線が仙台~東北へ一気に広がり、その一時代に貢献したのがBB工事.comです。現在は、KDDIもソフトバンクも光回線についてはコスト重視で独自性は薄く、国のインフラ整備事業を担うNTTへ丸投げの状況になっているんです。

東日本大震災がソーラー事業を後押し

 2011年、東日本大震災のために、特に福島県エリアでソーラーパネルの設置が増えました。しかし、当時はソラーパネルの設置はできるものの、設計や申請手続きをした経験がない工事業者が殆どだった。当社は電力会社との協議経験もあったので、必然的に設計と手続きの代行を請け負うようになった。その後、農地買収するなど直営の産業用ソーラーファームも現在5基稼働させています。

元祖、アパートWi-Fiは宮城から

 2012年、集合住宅向けWi-Fiを開発しました。2014年、バッファロー社とのコラボでBUFFALO社の製品を使った「バッファロー・インターネット」を開発し全国展開を行いました。他にアパマンショップ様にOEMリセールして頂いる「アパートナー・アパWi-Fiネクスト」もございます。

 2016年に回線料込みの月額8戸1万円の激安レンタル方式「apaBB光」をリリースしました。2022年には、リモートワークにも適したIPv6を基軸としたシステムにアップデートし、素人でも簡単・最安に運営できる集合住宅向けWi-Fi「満室BBプロジェクト」を公開しています。

以上の通り、今なお、ありがたく 電気・通信・メカトロ・IoT に関わり続けさせていただいております。

会社情報

会社名 有限会社BB工事 「BarBatos-Builders, Ltd.」 プライバシーポリシー
設立 平成13(2001)年9月3日 資本金3,000,000円
EC運営責任者 Yuji Kurihara ( Excecutive Vice President )
事業内容IoTコンサルティング、インターネット接続サービス
電気通信事業者認定 届出番号:I-27-00780
FTTHサービス販売代理店 届出番号:B1908818
宮城県公安委員会許可 事務機器商 第221240001257号
OFFICE〒981-3131 宮城県仙台市泉区七北田字白水沢86-1 FAX: 022-776-3253
LABORATORY〒982-0834 宮城県仙台市太白区青山2-23「 蔵宇渡センター」
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